脱稿 2012.4.06
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WATAGATA(行ったり来たり)する。
2012年春 宮本初音
はじまりは、シムさんからの相談だった。
「釜山と福岡でアートプロジェクトできませんか」たしかそんな話だったと思う。2010年の夏の終わり。そして9月、釜山の新聞に私のインタビューが載り(注1)、具体的なやりとりが動き出した。同じ9月に福岡アジア美術館で釜山市立美術館のコレクション展がスタート(注2)。会期中に釜山市のオルタナティブスペース関係者を交えたトークが開催され(注3)、これが「WATAGATA」が生まれる大きなきっかけになった。
福岡にはアーティストたちが運営する小さなアート拠点が多い。そういう場に関わる若い世代がたくさん会場を訪れた。実はこの世代がアジ美のイベントに一度に集うことは意外と少なく、会場は熱気を帯びた。そしてこのとき紹介された釜山のアート拠点への関心が一気に高まった。
時代を遡ると、福岡では昭和40年代から多くの「日韓交流展」が全国にさきがけておこなわれてきた経緯がある(注4)。だから、いまあえて屋上屋を架す交流ごとが必要なのかとも考えた。「でも、じゃあ、わたしたちは釜山をどれくらい知っているのか?」 そこでとにかく行ってみることにした。窓口は2009年にスタートしたばかりの「トタトガ」(注5)。釜山の中心部でアートスタジオを増殖させているトタトガとの話から釜山の作家が福岡で発表できないかと拡がり、アートフェスティバルの話になっていった。ひとりひとりの出会いが次の動きへ繋がっていく。
福岡と釜山のアートネットワーク名としてWATAGATA(韓国語で「行ったり来たり」)と名付けた。打ち合わせの際に釜山のひとが必ずくちにする言葉だったからだ。ひとが往き来する、もちろん、それだけでは漠然としすぎだ。相違を比較することももう充分。実際には福岡も釜山も作家たちは悩みをかかえ表現をさがしている。WATAGATAは目の前にいる、違う文脈の同時代同世代の作家たちが出会うことを促進したい。そこから何が生まれるのか。
さしあたり、2014年の釜山ビエンナーレと福岡アジア美術トリエンナーレ同時期開催のころ、双方が協力するアート企画ができないか、ということを目途に考えた。その打ち合わせを始めた頃、東日本大震災が起きた。地震、津波、そして放射能。生きるために何が必要なのか改めて問われる時代になった。自分たちが囚われている感覚を見返すのに、この身近な異国体験は極めて重要であると思える。お互いの感覚のズレを反芻していると、焦点が合ってくることがある。
しかし、まあ、とにかく「行ったり来たり」してみるのだ。会って、話してみよう。顔を合わせて、同じ目的に頭を痛めてみよう。何度も何度も、ワッタガッタしながら。それは、この場所でないと出来ないことだから。数千年前からそうやっていたように、やってみるのだ。
(注)
1國際新聞
2010.9.15심우현의 규슈
문화리포트 10 후쿠오카의 기획자가 보는 후쿠오카, 그리고
부산(福岡のプランナーが見る福岡、そして釜山)
2 行政交流都市提携20周年・福岡釜山友情年記念「韓国モダンアートの波––釜山市立美術館コレクション展」 2010年9月18日〜11月3日 福岡アジア美術館
3釜山-福岡現代アート座談会「釜山の現代アートシーンと福岡-釜山の海を越えた美術交流」 2010年10月2日(土)あじびホール。AGIT,オープンスペース「ベ」、代案空間バンディなど釜山のオルタナティブアートスペース関係者が参加。
4 「韓国モダンアートの波」図録 100-107p黒田雷児「福岡・韓国美術交流史」参照
5 「原都心創作空間
トタトガ」 2009年に事業検討が始まったアートスタジオプロジェクト。オフィスビルの空部屋を借り上げスタジオにする組織。まちなかのアート拠点をふやし、住民と芸術家の交流プログラムも多数。(参考:シム・ウヒョン「原都心創作空間『トタトガ』という取り組み」 Yui Vol. 2p.13 2011年8月発行。行光出版 福岡市)
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